
五重塔
20 大倉蔵人伝説
21 小倉神社
22 伊達政宗命名 青松寺
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![]() 登山道案内看板(宮城県設置) ![]() 登山道入り口標識 |
県立自然公園にそびえる御所山船形山は、順徳天皇の伝説に絡む霊山です。 名称奇襲にとみ植物相は、北方系、南方系表日本東日本との十字路にあり、春はシャクナゲ、秋は紅葉が大変美しい。 定義からの主な登山コースは、後白髭コース、桝沢コース、横川コースなどがありますが、現在は、後白髭コースと横川コースのみとなっています。 後白髭コースは、定義から車で十里平方面に約5分走ると林道入り口。さらに林道を20分位走ると、水茶屋登山道入り口になります。 水茶屋、下空沢、上空沢を登り、後白髭、蛇ヶ岳を通って船形山となり、約14q、所要時間は、登り5時間30分、下り5時間ぐらいです 横川コースは、定義如来手前800mを右折し横川林道に入り、横川登山口まで約2時間。 船形山からは、太平洋、栗駒、蔵王、月山などの山々が一望できます。 |
![]() 秋の船形山山頂付近 |
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![]() 十里平 ![]() 剣刀山 |
十里平は、定義から車で10分位のところにある、戦後の開拓の地ですが、縄文中期の土器が出土する、酪農と農業の里です。 春は、残雪と新緑、そして新緑の山々から聞こえる春蝉の声には、心が癒されます。 夏は涼しく、トンボがのどかに飛ぶ姿は、眺めているだけで心が穏やかになります。 秋は紅葉が楽しめ、水清らかな河原で作る芋煮に、食欲が増します。 また、年中空気が澄んでいて、夜は満天の星空が手が届きそうなくらいに輝いています。 8月10日は開拓記念日として、地域に祀られた山の神をお参りし、地域の安全と発展を祈っています。 十里平2q手前の屋敷平は、仙台市でダム建設の予定地となったところです。 十里平に向かうと左手に剣刀山という岩山が見えます。 渓谷深く、紅葉時にはすばらしい眺めになります。 また、昭和初期まで、トカイ橋下と定義如来五重塔下の河川では流木をして仙台市民へ燃料の供給を行う中継地がありました。 |
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![]() 材木岩 材木岩 |
西方寺本堂から十里平方面へ徒歩5分のところに、材木岩があります。 その昔、立てかけていた材木が一夜にして岩になってしまったという伝説が残され、一本一本きれいに立ち並んだその姿には、うなずけるものがあります。 下を流れる大倉川は、岩魚や、ヤマメが多く渓流つりのメッカです。 時々、滝も出現し、新緑や紅葉で彩られる頃は錦絵のようです。 |
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![]() 定義如来山門 |
平家の平貞能公が隠れ住み、中国より伝わる阿弥陀如来宝軸を守りました。 境内には、気仙大工花輪氏が建立した、山門、お手水場、鐘楼堂、御廟である貞能堂や、総青森ヒバで建立した本堂、五重塔など見応えがあります。 また、山門、御廟に施された石井寅正氏による彫刻は一見の価値があります。 江戸時代から、定義さんは、縁結び、子だから、安産の如来様。一生一度の大願はかなえて下さる如来様として、古くから定義参りが行われていました。 境内にはそれを物語る碑などもありますので、いにしえの時の流れを感じて下さい。 また、御参拝前に定義如来のホームページで境内の見所をチェックをお忘れなく! |
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![]() カタクリ群生 |
定義には、カタクリ群生地がいくつかあります。 写真は、定義如来西方寺境内内の群生で、比較的気軽に鑑賞することができますのでお楽しみ下さい! 花の時期は4月中旬 また、自然豊かな定義地区は、カタクリのほか、熊谷草、山フジ、紅葉などその季節限定の植物が楽しめます。 |
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![]() ホタルの飛翔 |
定義門前にはホタル生息地があります。 一度は絶滅しかけたホタルですが、地域の活動で見事復活しました。 飛翔期間中、定義観光協会では、地域や仙台市の協力と、ご理解ををいただき、門前のライトダウン運動を行い、小さく、淡く、神秘的なホタルの輝きを観察しやすいようにしていますので、門前の旅館に泊まりながら、家族連れで是非お楽しみ下さい。 飛翔期間は7月中旬が見頃。 暗いので足下注意! ホームページでは、定義ホタルの里の情報をお知らせしています。 http://www.johgi-hotaru.com/ |
![]() ホタル |
![]() ふるさと緑の道看板 ![]() 太刀切林道入り口 ![]() 太刀切林道・作並分かれ道 ![]() 太刀切林道・青下入り口 |
太刀切り林道は、ふるさと緑の道の定義から熊ヶ根区間の一部です。 この道は、平貞能公が、源氏のさらなる追討を避けるため青下から定義まで通った山道で、子捨沢、太刀切峠など地名が残っている。 また、大手門、青下地区には平貞能公にまつわる伝説が多い。 豆沢地区 平貞能公が、この地に来た折りに、馬を川(豆沢川)に入れたり、飼葉をやったりした時に馬が落とした豆が「豆石」になったと言われている。 片葦沢(かたあしざわ)(片葉葦) 平貞能公が豆沢から青下に逃げる際、繁った葦を刀で切り取りながら歩いたという。それ以来、片方の葉のみが無い葦が繁るようになったので、”片葦”といわれるようになったという。 現在は、道路拡張で青下川のほとりにわずか残っている。 木戸(木戸地名) 一の木戸、二の木戸があり、青葉下に宿をとったときの、第一番の木戸跡と聞く。 青下(青葉下) 平貞能公が青葉を折りながら通った由。 貞能公は、この地で休憩をとったとき、永久に住もうと思ったと言われる。(大六天の広谷中治宅の元の風呂場前のところ。現在は、畑) しかし、源氏の兵が川の下流で飯盛り(ヘラ)を見つけて追っ手を出したので、さらに奥山に向かい、この地を去った。白山神社は、貞能公が建立したものと伝えられる。 太刀切(太刀切峠) 此の地に兵を出し源氏の兵と戦ったが、武運つたなく、武器となる刀も使えなくなり、又奥地に向かったと言う。 また、このほかに一切世間と”断ち切る”ためにこの道を通たのでこの名がついたと言う説もある 子捨沢(越手沢) 貞能公の下臣が、源氏に追われて逃げるときに、子供を捨てたと言われている 蓬沢 薬草を採ったところ。 |
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![]() 定義交流センター ![]() 定義交流センター・待合室 |
仙台方面から定義橋を渡ってすぐ右手の建物。 バス待合所、公衆トイレ、消防ポンプ車車庫、地域の集会所と複合施設となっています。 集会所は、有料で使用できますので、発表会、研修会等にご利用可能です。 バス待合室では、常時定義・大倉の写真展を行っています。 この写真は、公募し寄せられた写真を選考し入賞された作品を4ヶ月に一度入れ替えして、展示しています。 |
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![]() 定義橋と定義のまち |
高さ約30m。大倉川にかかる橋です。 深い渓谷と、源流となる、後白髭と連なる峰々。 定義の地の奥深さを感じるこの橋から眺める五重塔はすばらしく、自然一体を感じます。 春や秋の行楽シーズンになると、写生会やカメラマンの姿を多く見かけます。 定義橋の下には、西風側用水路の取水口があります。 この用水路は、明治18年から6年の歳月を費やし、定義から現在の大倉ダム左岸水田の農業用水を引くためにつくられたもので、約4.2qあり、約1.8qは手堀による隧道となっています。 現在でもこの地域の水田、約15ヘクタールの耕作はこの西風側疎水に頼っています。 |
![]() 定義橋からの眺め |
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![]() 施設内のカブト |
夏休みは定義カブトの森に行こう! 定義の地で自然飼育されたカブトムシを自然の状態で観察ができるように、定義カブトの森を作りました。 定義参りをした後は、家族みんなでカブトムシの森へお越し下さい。 開園期間中は、のぼりと道案内の看板が立っています。 入園料は無料です。 平成20年の開園 8月10日〜8月20日 午前10時〜午後3時 ※蚊などの虫が多いので虫除けがあると便利 ただし園内では使用禁止! |
![]() カブトの森内 |
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![]() 定義浄水場外観 |
定義地区の下水処理を行う施設。 大倉ダム上流の下水処理場のため排水基準は高く、2度の処理を行っています。 |
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![]() 浄土の滝 ![]() 浄土の滝 |
定義下水処理場からも見ることはできますが、さらに100mほど歩いて進むと、正面に浄土の滝を見ることができます。 落差は70m位。 ※定義浄水場からの道は、宮城沖地震が起きる前の定義道。 現在は、宮城沖地震で崩落し道路も部分的に崩落、また現在も落石があるので、通行止めになっています。見学は、定義浄水場からがおすすめ |
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定義より1K手前の林道を入る。途中林道破損のために歩行となります。 |
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![]() ふるさと緑の道・道しるべ ![]() ふるさと緑の道入り口 ふるさと緑の道内の四阿 ![]() ふるさと緑の道・昆虫 |
ふるさと緑の道」は1972年(昭和47年)宮城県の県政100年を記念して制定されました。 ・コース 定義〜石沼つりぼり前(約0.8`・15分) 石沼つりぼり前〜遊歩道入口(約2.4`・40分) 遊歩道入口〜林道分岐点(約4`・80分) 林道分岐点〜芳の平(約4.4`・70分) 芳の平〜泉ヶ岳青年の家〜(約2`) ・見どころ 定義から泉ヶ岳まで、蝦夷タンポポ、水芭蕉の群生地、蝦夷スミレや昆虫類など貴重な在来種や、野鳥が多い。 また、コースの所々に東屋や休憩所があり、仙台市内や、太平洋を一望できます。 ・注意・お願い 熊などが出現しますので御注意ください ゴミ等はお持ち帰りください 山野草などは絶対に採取しないでください |
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![]() 山の神清掃 |
山の神は、山のすべてを司っていると信じられ、山の仕事に入るときは安全を祈り、山菜、狩りに入るときは、神様のものを少し分けてくださいとお参りをして山に入る習わしがありました。 昨今、山中心の仕事は多くはありませんが、今でも2月2日、10月2日の年二回は、山の神講を開催し清掃と、お供えをします。さらに、旧暦4月1日は山の神祭典として、「ニラのお汁」をお供えし祝います。 この山の神には、地域の人たちだけでなく、山の幸を求めて入山される方の姿も見受けられます。 鳥居の傍には西暦1800年に建立した「山の神」石碑もあります。 |
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![]() 高森山から定義を望む ![]() 高森山全景 |
高森山には、昭和40年初めまで、定義スキー場があり、多くの市民が定義に泊まりながらスキーを楽しんだ市民憩いの山でした。 また、その昔は、定義道が通っていて、峠から定義の集落が見えると、「もう少しで定義如来だ」と、つい早足になったということです。 現在は、その面影もなく萱で覆われた山ですが、山の幸を求める人が入山しています。 頂上付近では、泉ヶ岳、大倉ダム、後白髭山と見晴らしの良い山です。 また、高森山は大きな岩壁を有する山で、ロッククライミングやフリークライミングを楽しむグループもあります。 注)ロッククライミング、フリークライミング場等としての奨励は行っていませんので、個人の責任でお楽しみ下さい。 |
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![]() 道しるべ |
定義参りは古く江戸時代から盛んに行われ、主な定義道は @仙台八幡町から定義 A泉根白石方面から定義 B秋保方面から定義の3ルートが確認されています。 それぞれの街道の分かれ道に旅人が安心してお参りできるように、道しるべとして石碑が置かれました。 また、定義如来までの距離を案内するために一里塚も残されています。 写真上 滝上に保存されている道しるべ。 「左 ぢゃうぎ道」定義まで16丁と彫られています。 写真左下 作並を紹介する回文と、建立趣意、定義如来の略縁起、定義まで距離が彫られた一里塚。 写真右下 1,736年頃建立され、定義道で一番古い道しるべ。定義道と、愛子街道の分岐点に建立された。 |
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![]() 一里塚 |
![]() 定義道最古の石碑 |
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| 大倉地区の豊かな自然と暮らしの歴史を活かした「自然体験」や「生活体験」を通じて、豊かな人間性をはぐくむ場を提供するために開設される新しい仙台市の施設です。古民家、工房・管理棟、イベント広場の3つのエリアで構成されています。 |
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![]() 仙台市大倉ふるさとセンター・古民家 |
●古民家 ふるさとセンター内にある古民家は、平成6年まで仙台市青葉区上愛子に所在した石垣家住宅の母屋棟を移築・復原したものです。 石垣家は幕末期には村肝入を、明治には郷六・愛子地域の初代戸長をした名家の家柄でした。正確な建築年代は不詳ですが、江戸時代後期以降の仙台地方の民家の特色と考えられる手法が随所に見られ19世紀初期〜中期ごろの建築と推定されます。 |
![]() 仙台市大倉ふるさとセンター管理棟・工房 |
●工房 工具などを備えた2つの工房や調理室、ワークショップをひらける多目的室を備えた生涯学習施設です。キャンプの予約・受付やキャンプ用品の貸出などの業務をおこなう管理棟には5つのシャワー室(うちひとつは広々シャワー)、トイレ・広々トイレなどがあり、施設全体にむけ、様々なサポートが出来ます。 |
![]() 仙台市大倉ふるさとセンター・キャンプサイト |
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![]() 桜咲く大倉ダム |
宮城県が管理を行う県営ダムであるが、当初は建設省東北地方建設局(現在の国土交通省東北地方整備局)が施工した特定多目的ダムで、昭和37年に完成した日本最初のダブルアーチ式の多目的ダムです。 高さ82.0m、周囲約6.5q。湛水面積約1.6キロ平方メートルの大変水のきれいなダム湖で、百万都市仙台 の水源の一つであります。 広瀬川合流点より上流を見た場合、流路延長では広瀬川本川よりも大倉川の方が長くなっている。ただし流域面積では広瀬川の方が広い。 大倉ダムでは、ヘラブナ、升、鯉などが釣れ、多くの釣りファンが楽しんでいます。 また、冬の雪景色、春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉と、年中通して楽しめる景観があります。 大倉ダム右岸の高柵山は奇岩に松や紅葉などの広葉樹が自生し、秋の紅葉にはすばらしい眺めとなります。 この高柵山には、天狗が住んでいたという伝説があり、山頂には、天狗が相撲を取ったと言われる大きな一枚岩があります。 |
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![]() 高柵山 |
![]() 大倉ダムと後白髭山 |
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![]() 青松寺に祀られているお位牌 ![]() 下倉舘(大倉蔵人家居住跡) |
かの駒王丸は武蔵国大倉郷の館主帯刀源義賢の第一子である。 義賢は久寿2年(1155)8月16日、甥義平(当時15歳)に攻められて殺された。 その子の駒王丸にまで害の及ぼうとした時、三浦大介義明の息女の計を以って、乳母の子と取替え家臣の三浦大炊之助・菅沢太郎左ェ門・本多弥八郎等がつきそうて、遠く草深い奥州の大倉の地に逃れて成人した。 その後、故郷武蔵国大倉を偲んで地名を大倉と称し、駒王丸は大倉蔵人重義と名乗った。 武蔵国大倉は現在の埼王県比企郡菅谷村大倉で、義賢の館趾として東西85間、南北150間の広さがあり、東西南に塁や堀の跡を残し、この館祉の東方約三十間の位置に源義賢の墓といわれる五輪の塔が残されている。 大倉家は実在の家柄であるが、十三代大倉蔵人重忠の時、政宗公に従って佐沼城の戦に出陣し、年24才で家来共々討死したのでその跡が絶えた。 時に天正19年6月1日である。 宮城町史より |
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山城国乙訓群に鎮座まします式内社小倉神社は、平氏の一族が尊崇したあらたかな神社であった。 平氏の一族であった、筑後守貞能公が、奥州に来たり、跡を大倉の山陰に留められたとき、この地に隠棲されるときに、同社の分霊を勧請して篤く祀ったと伝えられている。 その時代、年月日は明らかではない。 その後、天正年間(1570年代)に、大倉地区の豪族、大倉蔵人信成なる者が、武運を祈願して社殿を改増築して篤く祀ったという。 (平成風土記) |
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下倉の青松寺は、伊達政宗公から、寺号を命名され、開山470年以上の歴史を持つお寺です。 青松寺は慶応3年(1867)一月に全焼し、一切の旧記等を焼失したので、本寺の来歴の詳細は明らかでないが、安永風土記 に記載されてある青松寺、第十三世祖超の書出によれば、名取郡根岸村青竜山宗禅寺第八世獄翁隆際和尚によって天文元年(1532)開山された禅寺で、開基は菅沢対馬(青松寺殿与山全明大居士)と伝えている。 その後本寺第三世笑外和尚の代に、適々 貞山公(政宗公)が当地の大倉の滝に出駕された折、当寺が御昼所となった。この際寺号を青松寺と御命名せられたと伝えている。 かくて安永三年(1774)まで住職の代数を数えること十三代、年数は244年も経た古刹であった。 その後十四世興国領宗和尚によって中興されたが、これ等の史実を語る記録がない。 (宮城町史による) 尚、開山当時の本堂は、現在の本堂裏山の中腹に建立されていました。現在は、墓地となっており歴代住職の墓碑が祀られています。 又大倉蔵人の位牌を祀っております。 |